ばあちゃん、ありがとう
- 初出
- 2020-08-19 (kanizaのブログ)
祖母(ばあちゃん)が亡くなったのは2019年の11月だった。100歳をこえての大往生。僕は両親と祖母、姉との5人家族で育って、その生まれ育った家族を見送ったのは今回が初めてだった。
数年前に脳梗塞を発症して右半身がほぼ動かなくなって以来、養護施設に入っていた。入った当初は比較的はっきりしていたけど、最近は記憶力がだいぶあやしくなっていて、家族でお見舞いにいくと「いつ(新潟に)来た?」と聞いてきて「きのう来たよ」と答えても、1分後にまた「いつ来た?」となるような状態だった。あと、はじめのころは施設を出て家に帰りたがっていたけど、徐々にそういうこともなくなっていったらしい。実際、一度ばあちゃんを家に連れて帰った時も、もうそこが自分の家だとははっきり認識できていなかったっぽいと聞いている。
両親が共働きだったこともあり、僕はばあちゃん子だった。保育園の送り迎えも、晩ごはんを作ってくれるのも、きょうだいゲンカを両成敗するのもばあちゃん、という感じだった。
2019年になってからは危篤に近くなったことがあって、それなりに覚悟ができていた。亡くなる1〜2日前にもマズそうな連絡があったこともあり、朝の通勤中に母親から電話がかかってきた時には「きたか…」と思った。
翌日が通夜になったので、朝に大阪を出て新潟に向かった。斎場に行くとすでにけっこう親戚が集まっていて迎えてくれた。部屋に横たわっている祖母は、入れ歯をはずしてあることもあってずいぶんと弱々しい顔に見えた。もうピクリとも動きそうにない。
納棺の前に、ひとりずつばあちゃんに声をかけることになった。前日から「ばあちゃんの孫で良かった。ありがとう」と伝えようと決めてたんだけど、胸が詰まるし涙は止まらないしでなかなか声が出なかった。
通夜の晩は、久々に集まった親戚とばあちゃんの思い出話をしたりと、楽しく過ごした。
明けて葬儀当日。追加で親戚が来たり、Facebook経由で訃報を知った僕の友だちが来てくれたりもした(Sサイズのみかん持参で)。棺に花を入れたり、出棺したり、火葬場に行ったり。それぞれのタイミングで泣けた。
覚悟できてたから、ひょっとしたらまったく泣かないんじゃないかとも思っていたけど、なんやかんやでけっこう涙が出た。あの感情は「悲しい」のとはまた違う、感謝というか、ばあちゃんへの思いの大きさが胸に押し寄せる感じだった。
葬儀も一段落したとき、骨になってしまったけど笑顔の遺影とともにばあちゃんが家に帰ってこれたのは本当に良かったと感じた。亡くなった人に抱く「おかえり」という思いはこういうことなのか。
いまはもう納骨も済んで、墓の中でじいちゃんといっしょに眠っていることだろう。大正、昭和、平成、令和と生きて、戦争をはじめ苦労が多かったことだろうと思う。ゆっくり休んでほしい。
心に残っているのは「おれは、おめぇたちに戦争の目にあわせたくねえいやぁ(お前たちには戦争を経験させたくない)」という言葉。戦争を経験した当人だからこその、心底そう思っていることが伝わってくる言葉だった。
もうひとつは、僕が結婚した頃くらいに言った「おれは、いま、しあわせ」という言葉。いろいろあったんだろうけど、孫たちも大きくなって、安心して日々を送っていたんだろうなと嬉しくなった。
数々の伝説を残し、みんなに愛された、最高のばあちゃんだった。改めて、僕はばあちゃんの孫で良かった。ありがとう。