もやもやゼミ
- 初出
- 2023-04-25 (kanizaのブログ)
学生の頃、よく3〜4人で友だちのアパートに集まって明け方まで遊んでいた。疲れてくると、みんな畳の上に横になってしまう。でもすぐに眠るわけではなくて、なんとなく頭に浮かんだことを話し合っていた。友だちのこと、ゲームのこと、将来のこと、先生のこと、宇宙のこと、音楽のこと、コンピュータのことなどなど。
横になって天井や壁を見ているので、それぞれ顔が見えるわけでもなく、「話をしよう」という明確な意思があるわけでもなく、議論しているわけでもなく、だらだらと頭に浮かんだことを話して、それを聞いてまた何か思いついたことを話して、と延々続く。
この時間を当時「もやもやゼミ」と呼んでいた。重要なのは「もやもやゼミをやろう」といって始まるわけではないところ。何となくそういう時間が始まって、「あ、またもやもやゼミになったね」みたいなことになるのだ。
あれは、普段話さないようなお互いの考えを交換できる贅沢で貴重な時間だった。
時は過ぎて、僕にも子どもが生まれて、ある時期まで同じ部屋に寝ていた。布団に入って、なんとなく話をはじめて、それがだらだらと続く。勉強のこと、子どもの素朴な疑問のこと、世の中のこと、科学のこと、仕事のこと、僕が子どもの頃のこと、などなど。
そう、あのもやもやゼミから20年くらい経って、親子でもやもやゼミをやっていたのだ。子どもにも「もやもやゼミ」のことは話してあるので、子ども自身も翌朝「昨日はもやもやゼミだったね」という風に認識していた。これもまた、世代も見えてる世界も違う人間どうしが考えを共有できる贅沢で貴重な時間であった。
それから子どもは成長し、自分の部屋で寝るようになり、親子の「もやもやゼミ」はずっとない状態が続いた。
ところが、つい先日、休日の朝に何となく親子とも横になっている時間があって、そこでつらつらと話しをした。ほんの短い時間だったけど、お互い「これはもやもやゼミだったな」という話になった。そこで「もやもやゼミのこともブログに書いておかないとな」という話になり、いまここに書いている次第。
学生時代のもやもやゼミ生も、親子でもやもやゼミしてたりするんだろうか。同じような時間の過ごし方を別の名前で呼んでいる人もいるかもしれない。もやもやゼミについて、もやもやゼミで話したい。